2016年2月13日土曜日

親と子について

久々の更新になります。最初に言っておきますが今回はとても個人的でかつ重めの話になりそうなのでいつも通りのアニメ関連記事ではないです。興味ない方はスルーでお願いします。


 
 本当はあまり話すべきではない事かなとの葛藤もあったのですが昨年から今年あたり色々考えてしまう事が多くあり今回記事にしようと考えました。 
 昨今DV事件が騒がれる中、SNS等でもおかしな人をよく見かけるようになった気がします。話題になっていた某記事をきっかけに自分も良いとは思えなかった家庭環境を振り返って改めて親と子の距離感について考え直そうと思った次第です。あらかじめ言っておきますが不幸自慢でも同情誘いでも何でもないです。とにかくもし読んでくれる人がいるなら一度考えてほしいと思うだけです。

 まず、DVとはいわずもがなドメスティック・バイオレンスの略称で家庭内暴力のことです。配偶者や同居者間に起こります。身体的、経済的、精神的、性的等様々なモノがあります。
 
 さっそく自分の幼少時代の話になりますが、自分はDV環境下にあった人間ということになります。親から子へのパターンで上記にあてはめるなら身体的なモノでした。父親は酒もタバコもギャンブルもしない人間でした。しかしもちろん仕事でのストレスは溜まります。父親の父親(祖父)が早くに亡くなったこともあってか教育というものをまともに受けていなかったからなのかとにかくその矛先はいつしか自分に向けられるようになっていました。
 小学生低学年から中学年頃ですかね。ある程度体が出来上がってきてサンドバックとして成長したと思ったのか少しでも機嫌悪い時に何か事を起こすとブチぎれてそのたびにボコボコにされました。泣き叫ぼうがやめてと懇願しようがひたすらです。その場に父親がいなくなってもしばらくは壊れた人形のようにごめんなさいごめんなさいごめんなさいと繰り返していました。あざは覚えておらず骨折れたりはしてなかったので手加減はしてたんでしょうけど何度か血が出たりもありました。母親がいないときはもうこの世の地獄です。かばってくれる人がいないので殴られ蹴られ横に倒れればひたすら蹴られ続けてストレス発散が終われば去る。そんな感じの生活でしたね。母がいる時はもうやめてえええ!と叫びながら僕をかばってくれて父にも妙なプライドがあったのか妹や母には一切手を出したことがなかったように思います。次第に殴られ蹴られだけではなく家からの締め出しを食らったりもするようになり家の裏手で一晩朝まで過ごしたり隣の米屋の冷たい大理石部分で寝るという小学生にしてなんとも言えない事になりました。(皆さん冬場は寒いので風呂の蓋とか風よけに使うといいですよ。
 他にもまぁ例の記事よろしく64壊されPS2隠されとかは普通にやられましたけどあーあゲーム壊れちゃった。でも殴られなかったラッキーとか思ってた気もするので正直この時点でだいぶ歪んでたんじゃないかと思います。
こんな家庭に生を受けてしまった自分を呪いつつもとにかく生き延びなきゃと必至だったあの時代は本当に地獄のようでした。


 不幸なことにある程度の年齢になるまでは周りにも何人か家で暴力を振るわれている奴がいて特段自分の家が変だとは気付かないままで母親も特に父親と別れたりもせず自分も警察に逃げ込むこともせず過ごすことになってしまいました。とはいうもののこのままではいくら命があっても足りないと思った自分は家を出ようと決意しました。これが確か10歳前後です。もちろんすぐに出られるわけはないので今は耐えて生き延びて1人暮らしを目標にしようと小学生時代から母親に頼んで炊事、洗濯、裁縫等を教えてもらいました。家を出る時のために必要だからお願いと。
もちろん僕もストレスを溜めてしまいかといって直接父親に逆らおうものなら死にかねないって分かってたので物に当たったり妹に当たったりしてしまいました。これに関しては本当に壊れた物にも妹にも謝罪したい。
ある時無意識に包丁持ってどす黒い憎悪が自分の中で芽生えた時は本当に人を殺めるかと思うくらいで抑えるのが大変だった記憶があります。だからか子が親を殺める事件もなんとなく理解はできちゃいます。(まぁ結局武器持ってても勝てそうにないし逆にとられて殺されそうだって思ってやめちゃったんですけど


とにもかくにもそんな風に生活してたんですけど中学2年になって我慢の限界が来ました。いつものように父親が僕をサンドバッグにしに来たとき頭の中で何かが切れてその場で殴り合いになりました。家の物を壊しながらの大ゲンカです。今までは一方的だったんですがこの年で初めて父親の顔面に右ストレートをぶち込みました。ですがもちろん大人に勝てるわけもなく結果は負けでした。玄関で立ち塞がり出て行けといわれ靴も履かず路頭に迷いました。家追い出し自体は何度もあったんですがこの時は寒かったのと砂利が足裏に食い込んで痛かったのと頭が痛くて手を当てると血が出てたのは覚えてます。
近所フラフラして電柱の下で今後どうすっかなぁと考えていたら両親の知り合いの方がたまたまランニングしてて自分を見つけてどうしたのと家に匿ってくれました。事情を1から話しているとつらかったねぇと抱きしめてくれて僕のために泣いていてくれてたと思います。僕も話している最中なんで自分がこんな目に遭うんだとワンワン泣いてしまったのを覚えています。そしてその方の息子さんがあたたかい紅茶をくれてとてもとても暖かったのを昨日のことのように覚えています。僕を拾ってくれた人は今でも親交があり帰るたびに顔を見せにいってお土産渡してます。正直本当の親じゃないかと思うくらいいい人で感謝してもしきれないので。


 まぁその一件からは息子の反撃が堪えたのかしばらくは冷戦状態で家にいるけど話はしないみたいなのが数年続いて高校生になってから多少マシにはなりましたけど昔の出来事がフラッシュバックしてやっぱりギクシャクしました。軽いPTSD(心的外傷後ストレス障害いわゆるトラウマ)なのかもしれませんね。
どれだけ表面上仲良くなろうと思っても過去の出来事思い出して拒んでしまうんですよね。あれだけのことをしておいて今更父親づらして仲良くしようとするなって。


 そして家族仲は元には戻らず歪な形のまま当初の予定通り今は親元から離れて一人暮らししてます。母親や妹とはそこそこ仲良いし父親も丸くはなって昔より話せてはいますがやっぱり自分の中で距離感が難しい人になってます。そのせいか年単位で家族の顔も見てません。今も父親の事を許せませんし一生この事は忘れません。ですが今はもう可哀想な人だったんだなと憐れんでいるそんな複雑な気持ちでいます。一時期は絶縁方法や分籍について色々考えた時期はありますが血縁を切るなんてのは到底無理なんですよね、悲しい話ですが。未だにツイッター上で家族ネタに噛みついてどす黒い感情ぶちまけてしまったり街中で仲良さそうな親子を見ると胸が痛くなったりしてそのままの幸せな家庭でいてくれ自分みたいになるなと涙が出そうにもなります。大げさやなwって思われるでしょうが割とマジなんですよね。


 こんだけ書いておいてなんだって思われるかもしれませんが感謝自体はしてるんですよ。なんだかんだ金かけて育ててくれた恩義はありますからね。それに今も関係が悪いわけじゃないですし他人に近い生き方を覚えてからはお互い優しくむしろ良い方かなとも思います。電話越しでなら父親とも話せますしね。
 ただやっぱり上記の件が脳裏から離れずに自分の中でどうにもうこうにも悩ましい部分が大きいです。これがいっそ他人ならここまで考える必要ないのですがね。だからこそ常に血縁とは呪いに近いなと思っています。
何度も何度も考えても答え出なかった結果が今の 「距離をとって少し関わりのある他人という生き方をする事」 なのかなとは思います。家族の在り方はいくつもありますがほんのたまに電話で話して実際には死ぬまで会わない。これがうちの家族の適切な距離感なのかなと。これは死ぬまで引きずってしまう出来事なんでしょうねきっと。家族自体は自分が昔のことを引きずりながらこんなことを考えているなんて思ってもみないでしょうしここまで複雑だとは考えていないでしょうが今でもたまにこうやって悩み苦しんでしまうこともあります。


まぁ身の上話が長々とぐだっちゃったけどこういうことあってから言いたいことは3つ

・家庭環境はそれぞれだから一概に言えんけど複雑な奴もいるから親を大切にしろ!みたいな理論は一辺倒におしつけんな。

・実際にそういう渦中にいる奴はヤバいと思ったらすぐに逃げろ。今なら社会問題にもなりつつあるし実際なんとかしてくれるところは多いかもしれん。友達の家でも警察でも親類でもどこでもいい。 自分はたまたま生き残った人間だけどそれは運が良かっただけでここ数年で死亡例も多い。命あっての物種だし家庭内が世界の全てじゃないって気づけ。最後に信頼できるのは自分だけだからそれを頭に入れろ。

・周りでそういう家庭環境が複雑な人いたら出来るだけ助けてあげてちょ。またはヤバそうなサインに気づいて。


 今回の記事は親から子へのパターンについて話ましたがこれ以外にも様々な例があります。また昔気質な人間ならこの程度は普通なことだろ何ピーチクパーチク喚いてんだって思われる方もいるかもしれません。僕の例はまだ死亡していないだけマシでもっとおぞましい事があるのも理解できています。
もし万が一この記事を人の親が見る事があればとにかく子供に対する暴力については再考してほしいです。もちろんそれ以外の人にも自分は関係がないと思わないでほしい。
 自分は子供がいるわけではないし答えなんてないのですが時には教育上殴ることが必要な事もあるのかもしれません。ですがその行為は考え出した上での最良であってほしいんです。一定ラインを越えた暴力を振るっても閉鎖的な環境でブレーキを掛ける人間がおらずより過激になっていくというこの恐ろしさを今一度考えていただきたい。


僕みたいな人間はもう最後にしたいですね。父親を反面教師にして今日も元気に生きよう。


P.S.今日も母親が子供を殺めた事件のニュースが流れてきました。自分の無力さを思い知らされるばかりです。

駄文締め


 

 

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